情緒折々

課題提出したり自分語りしてみたり

『音が苦』は悪なのか

『音が苦』は悪なのか。

 

 

 

⚠︎ このブログは矢花黎さんの音楽論に異議を唱えているブログです。 矢花黎さん本人や矢花担、痺愛は少し引っかかるかもしれません。 安心してください。矢花黎さんのことは大好きです。オタクの戯言。一意見として暖かい目で見てください。叩かれたら死にます。マンボウよりか弱いと思ってください。

2021/06/09 侍ふ。問題提起より。

 

 

どうもどうもふなつです。

#woofer887 の履修登録をしたにも関わらず、毎回ブログ提出が間に合っておらず、落単手前のしがない嶺亜担です。

今回はいつも感じる共感や納得とは異なる感情を抱いたので、この感情を忘れないうちに水バナ感想ブログの提出をしようと思い、したためております。

 

簡単に自己紹介をすると、ふなつは中高6年間吹奏楽部に所属しトロンボーンを吹いていました。

他にも6年間ピアノを習っていたり、アルトサックスを齧っていたり、吹奏楽部の活動の一環として高校3年間ビッグバンドもやってたりしました。

軽音楽(主にギター)はあまり詳しくありませんが、音楽を愛するものとして全力で7MEN侍を応援させていただいております。

 

最近は楽器を触っておらず、ただ耳が良くなっただけのうるさい外野みたいになっていますが、アンチでもヘイトでもないのでどうか暖かい目で見てください。

あ、私の夢は7MEN侍とセッションすることです(壮大)

 

 

 

 

ーーーーーーほんへーーーーーー

 

今回は、矢花黎さんが本題としてあげた『ロックとは』という件についてでは無く、全然別のことを本題としてます。この時点でへそ曲がりなのですが、どうかご容赦くださいませ……。

※ 『ロックとは』についてはほとんど同じ考えなので割愛します。

 

私が気になってしまったのは以下の一節。

 

 

おんがくは

「音が苦」より「音楽」であるべき

 

 

…………は?(やめなさい)

でも正直な話、読みながら本気で『は?』って言いました。

 

いや、言いたいことはわかるんです。そりゃあ人間、苦しいのよりも楽しい方が良いとしがちですし。音楽は彼らにとっては仕事であれど、気持ちをリラックスさせるような効果がありますし。辛くなりたくてやるものでは無いでしょうし。

『おんがく』が『音楽』である必要性は大いにあると思います。

 

では、『音が苦』は悪なのでしょうか。

私はこのブログを読んで『音が苦』を否定されてるような気持ちになりました。(彼にそんなつもりはないと思いますが)

彼自身が『音が苦』=『悪』と明記していなかったとしても『音が苦』より『音楽』であるべき。と言われてしまうと、『音が苦』は良くないから、正しくないから、『音楽』であるべきだ。と言われているのではないか?と思ってしまいますし、私自身そう受け取ってしまいました。

 

それでは『音が苦』とはなんなのでしょうか。

 

練習がキツくてやりたくなくなること?

音楽の方向性が合わなくてモヤモヤすること?

上手く出来ない自分にイライラすること?

負の感情にのまれ楽器を壊そうとすること?

音楽そのものを嫌いになること?

 

上記のことは全て『音が苦』に該当すると私は思います。そしてこれらは私が高校3年間の中で実際に思ったことです。(あ、楽器は壊してませんよ!)(ギリギリ物に当たらずに済みました)(でも楽器を壊してしまおうかという暴力的な衝動に襲われたのは本当です)

 

こう見ると『音が苦』は悪であるように思えます。

こうなってしまうくらいなら『おんがく』なんてしたくない。そう思ってしまっても仕方がないかなぁとも思います。100%の確率でこうなるなら私もやりたくないですもん。悪影響っぽいですし。

 

それでは『音が苦』は要らないものでしょうか。

『音が苦』は体験しない方が良いのでしょうか。

 

次は体験しなかった時のことを考えてみましょう。

『音が苦』を体験せずに『音楽』のみを体験する生活。『おんがく』は楽しくて、辛くなんかなくて、、、あ、今幸せだと思いました?さぁ、またまた問題提起ですが、それは本当に"幸せ"なんでしょうか。

 

矢花黎さんの『音楽』はきっと『音を楽しむ』という意味だと思います。

では『音が苦』を体験しない『音楽』は『音を楽しめている』のでしょうか?私はそうは思いません。それはただ『音に対して楽をしている』だけです。

 

少し古臭い考えかもしれませんが、私は辛い思いをせずに上達はしないと思っています。地道な練習や山積みになる課題、高い壁を乗り越えてこそ見える景色があります。それを『楽しむため』に一度でも簡略化してしまったら、もうそこからは『楽をする』ばかりになるでしょう。

難しいから『楽しみたいから』簡略化しよう。だって『楽しむため』だもんね……。

 

既に完成している曲が100%だとしたら、諦めて簡略化した曲はせいぜいMAX80%でしょう。100%の曲に対して努力するのと、80%のために練習するの、どっちが良いですか?楽しむためなら簡略化されてる簡単な80%でしょうか。

例え80%を完璧にしたところで100%にはなれません。だって自分で80%に下げてますからね。それだったら結果的に100%に到達出来なかったとしても100%を目指した方がかっこいいのではないでしょうか。難しくても辛くても、それを乗り越えて出した自分の『おんがく』こそが『音楽』なのではないでしょうか。

 

まぁ簡単にまとめますと、私は『音が苦』を経験しないと『音楽』にたどり着けないと思っているわけです。なので決して『おんがく』は『音が苦』より『音楽』であるべき。では無い。と考えるわけですね。

過去の彼の行動を批判するつもりはありませんが、私はそう思うのです。

 

きっと彼自身もこのことには気づいてるはずで、だからこそ努力をしてこの道を突き進んでくれているんだとは思います。彼もたくさんの『音が苦』を経験しているはずです。

でもね、あの書き方だととモヤモヤしちゃうよ〜と、そんな異議申し立てる(?)ブログでした。

 

『音が苦』は悪のように感じるかもしれません。

でもそんな辛い中で学んだものは大きいはずですし、未来の自分の為になります。練習が辛く厳しかった分、本番で出し切った時の爽快感や達成感は莫大なものになります。きっと、きっとかけがえのない大切な思い出になります。それをきっと人は『青春』と呼びます。大袈裟に聞こえても、でもそれは紛うことなき『青春』なのです。

『音が苦』も『音楽』も経験することで生まれる『おんがく』こそが『全身全霊』の賜物です。

 

どうか『音が苦』を悪と思わず『おんがく』として愛してあげてください。

『音が苦』も『音楽』も同じ『おんがく』です。貴方を形成し、貴方が形成する『おんがく』です。愛してあげてください。

私はこれからも貴方達が作る『おんがく』を楽しみにしています。

 

 

P.S.

パフォーマンス重視なのは重々承知ではありますが、色々バレてますからね!ぜひ正確性を二の次にせず同時に極めていってください!貴方はアイドルで、プロなんですから。(もちろん努力しているのはわかってますよ!毎回のパフォーマンスごとに隠された成長やアレンジ、技術にも全部ではないにせよ気付いてますし!)

 

『全身全霊』で『音が苦』を体験してください。

きっと良い『音楽』を作り出してくれます。きっとね。

そうして得た武器を持ってぜひまた痺愛に挑みに来てください。『臨戦態勢』にて迎撃致します。

 

これからも一緒に『"音"を"楽"しみ』ましょう。

約束です。

 

 

ふなつ。